Life in a Northern City 克美の引退に寄せて

「思い半ばではありますが、引退する決心をしました」
あの鈴木克美が引退する。

life_in_northern_city.jpg全国高校サッカー選抜に名を連ねた鈴木克美が日大山形卒業後選んだ進路は、日本リーグにはほど遠い、鶴岡地区リーグ2部だったNEC山形サッカー部。

まだ昭和の当時、ロクナナ国体(昭和67年国体)とも呼ばれていた1992年のべにばな国体。強化チームとして破格の県・企業のサポートを得られるチームであったものの、国内にプロリーグもなく、日本リーグからもほど遠いピラミッドの裾野からのスタート。彼自身、現在までこれだけのキャリアを積むことになるとは、想像の域を超えるどころか、当時影も形もない世界を夢想することすらできなかったであろう。

鶴岡地区2部、翌年発足の山形県リーグ、国体、東北地域リーグでの4年連続優勝、全国地域リーグ決勝大会参加となかなか破れなかった全国リーグへの壁、 日本電装とのJFL昇格決定戦、そしてJFL時代、チームの存続が危ぶまれたNEC山形からモンテディオ山形への移行期、J2参戦。

残念ながら私はそのキャリアの大半を同時代に体験することが出来なかった。JFL・NEC山形からのサポーターすら知らないモンテディオ山形の神話時代。
克美はそのモンテディオ山形の創世記と言える前史を知る唯一の生き残りであり奇跡的存在であった。

昨年県リーグから大分トリニータに在籍したGK小山健二(現・横浜FC)のチームとの別れ、そして功労選手としての表彰が話題となった。小山と相対比較してはならないが、地区リーグからスタートし、底辺からピラミッドの頂点を目指し幾多の挑戦を重ねつつ、同一チーム内での競争にも16年もの永きの間生き残り続けた克美。その足跡は、華やかなトップリーグしか知らないエリート選手がもてはやされる、日本のプロスポーツ文化の概念を打ち破る貴重な功績ではないか。

NEC山形時代、会社の制服を着て社員食堂で昼飯を社員と一緒に食べていたであろう克美。山形の会社の兄ちゃんが残した夢のようなストーリー、物語の最後はJ1のピッチであって欲しかった。2001年最終節の延長戦、夢破れたことを知りつつもゴールを守り続けた克美。ピッチ上の彼に去来していたものはどんな思いであったのだろう。

鶴岡から始まった北の街のサクセスストーリーはまだ終らない。
彼の歩んできた道と携えてきた夢を我々サポーターも引き継がなくてはならない。
克美の夢を現実のものとするために、これからも歩んでいこう。

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このページは、が2004年11月30日 23:17に書いたブログ記事です。

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