ゴール裏に溢れた想い 楽しさ、嬉しさ、悔しさ、悲しさ

想像以上の虚無感[こっそりSOCCER DIARY]

NHK山形で彼の昨日高橋健二のインタビューが流れた訳だが、概要を目にすると実際の映像は見ていないとは言え、彼自身も心残りが多いように思える。

心情的には私も同じ。結局彼の夢を共に果たすことが出来なかった悔しさって、少しずつ時が進むにつれ重くなってくるねぇ。どこかで切り替えないといけないし、もう切り替えて始めているいるつもりではあるけど。


センチメンタルにはなってはいけないのだろうが、彼がピッチから居なくなることの重みを心に深く刻みつけるべきだと改めて思う。


ちなみに最終戦後、インターネット上で「健二のコール、サポソンが執拗すぎる」って声が散見された。落ち着いた今だから書くけど、コールリーダーが健二コールをしなくなっても、中心部以外からも自然発生的にゴール裏から「ケンジケンジ」の歌が何度も歌われ始めて、それにみんな続いて行った。


確かに選手起用はプロフェッショナリズムに徹すると樋口監督は言うさ。それも声を出している方も健二コールをする前から分かっているさ。それでも俺達は「空気読め」と言いたくなる。ゴール裏を全体としてみれば、そして、まだピッチに現れていない健二に対するコールがゴール裏の様々なところから主体的に発せられたことは、それだけ健二が紡いで来た歴史は素晴らしかったという事の裏返しだと思う。


確かに「しつこいからもう良いだろう」とか「他の選手に失礼だ」とする人もいるとは思うが、ゴール裏に満ちあふれていたそれぞれのサポーターの思いが、10分もの間断続的に続いた健二コールに表われたことを理解して貰いたいかな。だから私は「しつこい」とも思わなかったし、健二が積み重ねてきた歴史は他の選手達も充分なほど分かっている筈だからサポーターが健二コールを続けたことは「失礼に当たる」とは思わない筈だと考えている。あくまでも私の主観だけど。


いつまでも続いた健二コール。健二が歩んできた歴史は長い間サポーターの心を動かし続けていたのだと思う。輝かしい未来があるとすれば、楽しさ、嬉しさ、悔しさ、悲しさが重層的に積み重ねられた上で、初めてそのありがたみが実感できるのではないだろうか。健二のラストゲームで感じた楽しさ、嬉しさ、悔しさ、悲しさを決して忘れてはいけない。

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このページは、が2006年12月 9日 11:11に書いたブログ記事です。

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